「緊急事態宣言!?」
結乃が大声をあげた。
「7日に発令、と出ていたね」
理衣もそわそわしながら言う。
「この記事を書いている時点ではまだわからないけれど、いずれにしても記事は記事!!」
と、結乃は割り切った。
「一回目が遠藤だったから、次は当然この人、ヒゲの斉藤明夫よ!」
「強面の斉藤さん!」
「ちゅーことで、成績はこれ!」
■大洋ホエールズ
横浜大洋ホエールズ
横浜ベイスターズ (1977 - 1993)
■通算128勝 125敗 133セーブ
■最優秀防御率 1982年
■最多奪三振 1978年
■最優秀救援投手賞 1983年、1986年
■新人王 1977年
「こうしてみるとやっぱり凄いね!」
「100勝100セーブを達成しているからね」
「それは凄いこと?」
「達せしたとき、右投手ではプロ初、左右あわせても史上3人目だったからね」
「おお、凄い!」
「それに当時はまだ今ほど分業でもなく、先発完投も多かった時代。抑えも22セーブでセーブ王も取れた頃だからね」
「それで積み重ねて100セーブかぁ」
「斉藤といえばやっぱりコントロール!」
「谷繁捕手も、斉藤さんのコントロールが一番良かった、みたいなこと言っていたよね」
「滅茶苦茶速いストレートとかあったわけじゃないから、コントロールとキレ、投球術よね」
「老獪、ってイメージが強いね」
「それはまあ、ベテランになってからの斉藤を見ていたから、ってのもあるでしょうけれど」
「時々、横から投げていたりしたよね」
「そうそう。あとはスローカーブね」
「やっぱり技巧派右腕だねー」
「それも、裏付けするだけの技術と、そして度胸があったから出来たことよね」
ただ横から投げれば良いというものではない。
緩い球を投げれば不意を突けるわけではない。
その状況、その相手で見定めてこそ使用していたのだろう。
「OBオールスターなんかでは背面投げもしているみたいだし、色々やって抑えてやる! って投手よね」
「投手は多くがそうかもしれないけれど、負けん気が強いよね」
「遠藤と斉藤、互いに先発と抑え、抑えと先発をわかちあった戦友で、良い二人が同時期にいたものね」
「ずっと一緒だもんね、まさに戦友だよね!」
「まさか遠藤が先に引退するとは思わなかったけれど」
斉藤の方が一年先にプロに入り、一年後に引退した。
それでも、共に同じ時代を、横浜という地を駆け抜けたレジェンドに変わりはない。
遠藤と斉藤という、先発と抑えでリーグを代表する投手がいた時期にリーグ優勝できなかったのが本当に悔しい。
「まあ、先発と抑え、一人だけよくても・・・ね」
「だから、そういうことは!」
大洋⇒横浜大洋⇒横浜
全ての時代で一軍で出場した唯一の選手。
ホエールズの投手といえば先発の遠藤、抑えの斉藤。
そんな投手である。