「なんだかんだで一週間も終わるわね」
なぜか結乃がしみじみした口調で言う。
「街は本当に人の姿が少なくなったよね」
理衣もつられたのか、しみじみした口調である。
「これがあとどれくらい続くのか! ねえ!?」
「ねえ、って言われても困るけれど」
「だからこその、違うことで少しでも楽しめればってね」
「想い出と共に振り返ります、選手紹介です!」
「前回はいきなり田辺で意表をついたけれど、今回は流れをくむわよ!」
「田辺選手の流れ?」
「そう、岡本透よ!」
「ああ・・・・・うん、そうだね」
■横浜大洋ホエールズ
横浜ベイスターズ (1988 - 1995) ■通算30勝 33敗 2セーブ
「ほら、通算成績をみてみて! 勝利数が岡本の方がちょうど10多く、敗戦数は同じ!」
「いや、偶然でしょ? てゆうか、だからなにっ!?」
「流れをくんで、左腕つながりよ!」
「それだけだよね・・・・」
「岡本透といえば二桁勝利もあげたことがあるんだから!」
「確かに、チームを支えてくれた左腕であることは確かだね」
「あの年(1991年)は野村が15勝をあげて、岡本透が11勝と、左腕二人が二けた勝利と、この先が楽しみになったもんよ!」
「今でこそ左腕王国、なんていわれているけれど、ね」
「球は速くない、140キロも出ないけれど、多くの変化球を駆使してまさに、のらりくらりとしていたわね」
「軟投派左腕、だね」
「そうやってうまいこと相手を手玉にとるような投球は好きだったわね」
翌1992年も8勝をあげた。
ただ、その翌1993年、故障をしてしまい、そこからは復活できなかった。
「完封も2試合記録しているし、このままいってくれればと思ったんだけどね。防御率も良くなって、安定度はあがっていたから」
「残念だったね。この頃は今よりも投手のケアとか甘かったからね」
酷使、ということになるのだろうか。
チームが貧弱で、他に頼れる投手が少なく、頼りになる投手に集中してしまうのはよくあることだった。
「特にこの試合! ってのは思い出せないけれど、チームを支えてくれた左腕よ!」
「とはいえ、岡本投手を出すとはね・・・・」
地味かもしれないけれど、玄人受けするような投手。
そんな感じだったよね。