「なんとかこのまま落ち着いて6月開幕を!」
両手を組み、天に祈る結乃。
「本当に、頼みます!」
理衣もまた、祈りを捧げている。
「さあさあ、病魔に負けるな!」
「そう!」
「だから今回は、奇跡のストッパー、プロ野球最後の無頼漢、盛田よ!」
■横浜大洋ホエールズ
横浜ベイスターズ (1988 - 1997)
■通算47勝 34敗 29セーブ
最優秀防御率(1992年)
カムバック賞(2001年)
「横浜ファンにとって忘れられない男、盛田幸妃!」
「盛田投手、本当にね」
現役時代に脳腫瘍に罹患。
病魔と闘い、カムバック賞を受賞。
しかしその後も再発し、2015年に45歳という若さでこの世を去った、闘志あふれるリリーバー。
「盛田はなんといってもあのエグいシュートよね!」
「過去の映像を見ると、本当にエグいという言葉があたるよね」
「シュート使いって今も少ないけれど、とにかく盛田の生命線は球威のあるストレートと右打者の内角を抉る高速シュート! それで打者をねじふせてきたわ!」
「右打者のインコースも恐れずに投げ込んでいたもんね」
「あの落合が、一番嫌な投手は盛田だ、って言っていたわよね」
「それは凄いね」
「相手が落合だろうが怯まず、死球をあてて睨まれても、それでもインコースを抉り続けていた度胸」
「優しそうな顔をして、でも絶対に引かないんだよね」
「もちろん、死球にしないようコントロールしなくちゃいけないってのはあるけれど・・・・とにかく強気だったわね」
「佐々木投手との『ダブルストッパー』でセの球団を苦しめたね」
横浜相手には、5回までにリードしていないと勝てない、などとも言わせた。
当時はリリーフが2イニング投げることなど普通で、6,7回を盛田、8,9回を佐々木、なんてのも不思議でなく。
先発にリリーフに投げまくり、1992年には6度の先発もして14勝、ほぼリリーフで規定投球回数を越えて最優秀防御率のタイトルを獲得した。
「おだやかそうな顔をして豪快、逸話は色々とあるわよね」
- 酒豪で飲み明かし、二日酔い状態でマウンドに上がる(それでも抑える)
- 一か月間、飲み続けて不眠。
- 練習しないでラジコンを作っていた。
でも、結果を出す。
「とにかく、プロなんだから結果を出すことが全て。努力とか関係ないと、結果を求めた盛田だったわね」
「本当に、見た目とのギャップが凄いよね」
「本当に、悔しいわ! もー!」
長らく大洋、横浜のファンをやっていると、分かる。
横浜は基本的に投手が弱かった。(チームも弱かった)
打者は外国人選手をはじめ、それなりに打てる選手がいることが多かった(点が取れるかは別だが)
そんな状況でセリーグの他の5球団を圧倒した「盛田-佐々木」のリレーは、ファンの憤懣を一掃させるものだったのだ。
二人の組み合わせも良かった。
- キレのある直球と、横変化、140キロ後半のシュートを投げる盛田。
- 力のある直球と、縦変化、凄まじい落差のフォークを投げる佐々木。
全くタイプの異なる二人のリレーだからこそ、相手が対応しきれなかったのもある。
弱かった横浜ファンが何の気負いもなく、負い目もなく、他球団ファンに胸を張って自慢できたのだ。
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ドラフト同期だった野村弘樹。
他に岡本透、清水義之、横谷彰将、田辺学 と、全員が一軍で活躍した当たり年ドラフトの1位。
盛田を越えるセットアッパーは出てきていないと思っている。
「ちくしょーっ、なんで、亡くなっちゃったのよ!」
それでも。
最期まで病魔と闘い、近鉄では奇跡のカムバックを果たし、優勝にも貢献した。
近鉄でも輝いたが、最も輝いていたのは横浜時代だと、ファンなら思いたい。
あのシュートは、忘れられない。