「緊急事態宣言、解除されるかしら?」
結乃が首を傾けながら言う。
「うーん、どうだろう。解除されそうだけどね」
理衣も迷いながら言う。
このネタを書いている時点では、まだ決まっていないのだ。
「ただ、もう既に人出が多いとか、マスクをしていない人が多いとか、そういう話を聞くわね」
「気持ちはわかるけれど、危険だよね」
「流行しだした頃だって、感染者は今くらいに少なかったわけだしね。また次の波がきちゃうわよ!」
「そうなるとまた自粛、開幕も延期・・・なんてなりかねないよね」
「そうならないよう、気を付けていくのよ!」
■横横浜大洋ホエールズ
横浜ベイスターズ (1992 - 2000)
■通算 39勝 38敗 9セーブ
最優秀中継ぎ投手(1997年)
「98年の優勝の立役者の一人、島田直也よ!」
「中継ぎを支えてくれたね」
「中継ぎローテーションでチームの勝ちを何度も作ってくれたわね」
「やっぱり中継ぎ投手って重要!」
「本当、よく日ハムから来てくれたわ!」
日本ハム時代は成績がふるわなかったが、横浜に来て見事に開花してくれた。
「だけど島田を語るにあたってはなんといっても常総学院よね!」
「高校野球のときから有名だったんだよね」
「なんたって甲子園決勝までいって、そこで投げ合ったのが野村弘樹だからね!」
「うわぁ、甲子園の優勝、準優勝投手が同じチームに!」
そう、実に胸アツな展開だったのだ。
しかも、両投手とも活躍してくれた。
高校野球では当然ながら勝者と敗者にわかれたが、プロでは双方が先発、中継ぎのエースとして優勝に貢献したのだ。
「とにかくどこでも投げる! 先発が不足の時は先発もするし、しかも完投、完封したこともあるからね!」
「中継ぎでは50試合以上を投げ、タイトルも獲得!」
「先発できたようにスタミナもあるからロングリリーフも得意で、中継ぎで10勝したわね」
「本当、チームにいると有難い投手だよね!」
島田といえば、とにかく『安定感』のイメージだった。
谷間で先発すれば5,6回を2,3失点できっちり結果を出す。
ロングリリーフでも、セットアップでも、なんでもござれ。
それだけ役割が色々多岐にわたっても、防御率は2~3点台をきっちりマークしていた。
「優勝した翌年からは疲労からか精彩を欠いたけれど、移籍したヤクルトで復活して、また優勝、日本一に貢献!」
「そう考えると凄いよね」
「引退後はベイスターズでコーチもしてくれて、20年からは母校、常総学院のコーチに!」
「学生さんたちを指導して良い選手を育ててくれると嬉しいね」
優勝した年、佐々木やマシンガンに加えて、この島田をはじめとする中継ぎ陣がいたからこそだった。
物凄いボールを投げるわけではないが、ある程度のコントロールとキレで打たせて取るタイプ。
だからこそ大崩れすることがなかったのかもしれない。
「いやもう、ホント、思い出すだけで島田さまさまよ!」
「あと、なんか童顔で可愛らしいのがいいよね!」
「理衣ちゃんはまたそういう・・・・」