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【ベイスターズ小説】青き星たちの反撃 3.大洋ホエールズのエース

更新日:

 

 もともと神門巡は野球にさほど熱を持っていたわけではない。子供らしく、小学生の頃はゴムボールとプラスチック製のバットで野球をして遊んではいたが、少年野球チームに入るほどではなかった。

 野球観戦に行くようになったきっかけは、新聞屋から貰ったチケットだったと思う。別にファンであったわけではなく、地元だから時折配られていたもので、それも人気の巨人戦などはなく大抵はヤクルト戦だった記憶がある。横浜スタジアムは巡の住む家の近くの駅から電車一本で行くことが出来て、スタジアム自体も駅の目の前ということで小学生の子供同士でも行きやすく、親に心配されることもなかった。

 野球のルールにそこまで詳しいわけではなかったし、当時はファンになる前だったから、試合を夢中になって見ていたわけではない。
 ただ、内野を適当に動き回り、ネットの近くまで歩いていってすぐ下に見える選手に声をかけたりするのが楽しかった。もちろん、試合に集中している選手は返事などしてくれなかったが。
 試合中盤になると、その時間になってもまだ誰も来る気配のない席に勝手に移動し、良い席で観戦したりもした。そんなことをしても全く問題ないくらい、観客席には空席が沢山あったのだ。

 何度か球場に足を運び、またテレビでも野球を見ていれば、横浜、いや当時の大洋というチームが弱いということは子供でも分かる。巨人が圧倒的に強く、他のチームは弱く、中でも横浜は特に弱かった。
 巡も日本人、判官贔屓の精神があった。また、圧倒的な強者に与するというのがどこか性格的に合わなかった。地元のチームということもある。そういった様々な要素から、このチームを応援しようという気持ちになっていった。また、地元チームのくせに、周囲のファンの数が少なく、巡のクラスでも横浜のファンだという子は知る限りで一人くらいしかいなかった。だから、「自分が応援せねば」とも思ったのかもしれない。

 いずれにしても、明確に「これ」といったものがあったからファンになったわけではないことは確かだった。
 ファンにはなったものの、横浜という球団は弱かった。基本的にはほぼ毎年Bクラスであり、春先まで調子が良くてもその後は失速し、夏に入る頃には上位進出など望めなくなっていた。
 他の球団のファンの友人からは、「横浜って今世紀中に優勝できるのか? いや、そもそも自分たちが生きているうちに優勝できるのか?」などと揶揄されたものである。そう言われるのも仕方がない、球界の盟主とも言われている巨人に対しては、年によっては5勝程度しか出来なかった記憶がある。年間26試合の対戦があって僅か5勝しかできないのだ、相手からしたら笑いが止まらないだろう。
 それでも巡は横浜という球団から離れることが出来なかった。理由の一つには、弱いチーム、特に投手陣は酷い状態であったが、そんな中でも孤軍奮闘するようなエースの存在があったからで、テレビで巨人を相手に立ちはだかり格好良く投げ続ける選手がいたからだ。

 

 巡にとってのエースといえば、なんといっても遠藤一彦だった。

 伸びのある直球に伝家の宝刀、落差の鋭いフォークボールで対戦打者をきりきり舞いさせる。加えてマウンド上での立ち姿。八十年代、まだまだ日本人的体型の選手が多い中で遠藤のスマートさは贔屓目であっても群を抜いていたと思う。スラリとした体に長い脚、ホームの白いユニフォームが非常に似合うダンディな男。そして誰よりも美しい投球フォームは今となっても超える選手はいないと思える。
 饒舌ではなくどちらかといえば寡黙なイメージで、弱いチームでも一人敢然と強大な相手に立ち会っていた。ローテーションが揃わず苦しい先発事情、『谷間投手の谷間に遠藤が投げる』、そう思える時期だってあった。

 そんな中、二年連続で最多勝も取ったし沢村賞も受賞した、巡にとってのヒーローだ。
 プロ野球珍プレー好プレーでも流された、当時屈指の好打者だったクロマティを見逃し三振にきってとり、『ここだよ、ここ』と指で頭をちょんちょんと指して見せる姿は、今でも一定年齢以上のファンでは語り草となる名シーン。あの1シーンを目にするだけで、溜飲を下げる思いである。
 そもそも、本格的に横浜のファンになったのは遠藤の存在があってこそ、なのである。あの運命の巨人戦、二塁を蹴って激走していた遠藤が急に片足けんけんで三塁に倒れ込んだ試合、巡はテレビでその瞬間を見てしまった。

 アキレス腱断裂という大きな怪我で長期離脱、いや選手としての復活すら危ぶまれたことで絶望を覚えた。同時に、より一層このチームを応援しなければと思った。巨人は何も悪くないのに、巨人戦だったというだけで更に巨人に対する敵意を強くした試合でもある。
 六年連続で二けた勝利をあげていたチームの大エースが大けがで離脱したのだ、絶望しないわけがない。
 その後、怪我から復活したものの、やはりかつてのような直球の威力は戻らず、抑えに転向してカムバック賞を受賞したものの、巡としては嬉しさと同時に物足りなさも覚えたものである。

 遠藤の歴史は横浜大洋ホエールズの歴史である。

 球団が横浜大洋ホエールズにチーム名が変わった年に入団し、横浜ベイスターズとなる前年、横浜大洋ホエールズが終わる年にチームと共に引退した、『ミスター横浜大洋ホエールズ』。
 こうして遠藤のことを思い出すと涙が零れ落ちそうになる。
 なぜって、遠藤を思い出すと併せてクロマティとの対決を思い出す。そしてクロマティのことを思い出すと、東京ドームでサヨナラHRを打たれた試合のことを思い出すからだ。  歓喜に沸く巨人の選手達を前に、ベンチで呆然と涙を流していた捕手の市川。
 弱くても、悔しくて泣いてくれた市川捕手を見て、どれだけのファンの心が救われたことだろうか。
 そう、負けて泣く選手がいることは、それだけでも幸せなことなのだと本当の意味で知るのはこれから遥か先のことであった。

 

その4につづく

 

■バックナンバー
1.歴史と共に、今
2.なぜ、このチームを

 

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