2006年は苦難の年だった。
なんといっても「二段モーション」の禁止。これの影響をもろに受けたのが横浜のエース、三浦大輔だった。
投球フォームを一からまた作り直すという目にあっても表向きには文句も言わず、黙々と投げ続ける三浦だったが、それでも影響は大きく成績を落とす。
結局、前年の3位から1年で最下位に戻り、牛島監督は退任する。
代わって2007年から指揮を執ることになったのは、1996年、97年と監督をしてベイスターズ優勝に貢献をした大矢明彦監督だった。
大矢監督の二次政権にかつての再来をファンは期待し、2007年は成績をあげて4位となった。勝敗も71勝72敗とほぼ5割であり、一昨年の3位の実績もあってファンは更なる上昇を期待していた。
しかし、2008年――――
ベイスターズは開幕から負けに負けた。負け続けた。
三浦が投げて負け、ウッドが投げて負け、那須野が投げて負けた。この三人で合計34敗、二桁敗戦トリオの出来上がりだ。
内川が.378で首位打者を取り、村田が46本でHR王をとり、吉村も34本のHRを放っても負けた。
3月から10月まで満遍なく負けた。
いつもなら帳尻合わせするかのように9月くらいに勝ち越していたが、むしろこの年は9月から10月にかけて14連敗を喫し、全ての月で負け越した。
2003年に迫る勢いで負けたが、どうにか2003年の勝率は上回った。
それでも、まだここが底ではなかった。
2008年のシーズンオフには相川がFAでチームを去った。谷繁に続き、せっかく育った正捕手が抜けたのだ、これはやはり大きかった。
鶴岡と小池がシーズン途中でトレードされた。
川村が引退した。
鈴木尚典が引退した。
染田は戦力外となった。
そして何より、石井琢朗が球団から引退勧告を受け、石井はそれに納得できず球団を出て広島カープへと移籍した。
最下位を独走しているチームが若返りを図って若手を優先起用する、良くある話だがその被害にあったのが石井だった。
単に重要な戦力を失ったというだけではない、投手から野手に転向して盗塁王や2000本安打を達成した、練習量も多く厳しい、将来の指導者候補を失ったのだ。
功労者に対する冷たい仕打ちは昔からであったが、多くのファンがこの仕打ちを悲しみ、嘆き、失望した。
優勝してから10年、わずか10年である。
築き上げた財産は全て使い果たし、マイナスへと落ちこむ。
この2008年が、完全なるチーム崩壊をもたらした。
2009年も前年に勝るとも劣らず酷いありさまだった。
当然のように全ての月で負け越し、三浦、グリン、ウォーランドの新たな先発三本で二桁敗戦トリオを結成して36敗を喫した。
大矢監督は5月には早々に休養となり、代行として田代富雄が指揮をとったがチーム成績が上向くことはなかった。
那須野は結局、期待に応えることができないままチームを去った。
2010年、尾花高夫が監督に就任するも、成績は向上しなかった。
4月まではまだ善戦するも、5月以降は負けが込んで2003年の成績に近づいていくのをファンは恐々としながら見守っていた。
この年も全ての月で負け越した。
どれだけ好投を続けても援護なく負け続ける加賀がいた。
三浦も勝てなくなった。
横浜を出て巨人に行ったクルーンからハーパーが逆転満塁サヨナラホームランを放って狂喜した。最高に勢いづく勝ち方のはずだったのに、なぜか翌日の試合から5連敗した。
シーズンを通して3連勝が1回あっただけで、100敗こそ免れたものの3年連続で90敗を越える屈辱であった。
シーズン終了後には球団買収の話もあがる。
内川がFAで去った。
佐伯が戦力外通告を受けて去った。
炎のマウンド削り、木塚が引退した。
2011年。
アナライジングベースボールは昇華しなかった。
この年も負け続けた。
キャプテンが掲げたのは「全力疾走」だった。当たり前だ。
もはや毎年同じような光景を見せつけられているようで、やはり全ての月で負け越しを記録した。
球団売却の話は本格化し、10月にはDeNAに株の大半を譲渡することで大筋合意。横浜から球団が消えることはなくなりそうだが、この先がどうなるかも分からない状況。それでも選手たちは前を向いて戦うしかない。
横浜ベイスターズとしての最終戦、10月22日の巨人戦。
育成から這い上がった国吉が先発して巨人打線を抑え、2-1でリードした9回裏、マウンドには当然、抑えの山口。
その山口は打者三人であっという間に無死満塁の状況を作り上げると、長野にホームランをくらった。
チーム最後の試合の、最後の最後で逆転サヨナラ満塁ホームランを打たれて負ける。
にっくき巨人を相手に若武者が好投、最後くらい気持ち良く勝って終われるかというファンの期待を見事に打ち砕く、実にベイスターズらしい敗戦であった。
そして前年の内川に続いて村田がFAでチームを去った。
後に残るは横浜焼野原。
まさに草木も生えない荒地とはこのことか。
11年で最下位が8回、他に類を見ない球団成績を残したTBSのベイスターズ時代。
選手もファンも、ただ立ち尽くす。
見晴らしが良いけれど、未来は見えない。
それでも。
それでもファンだけは、やめられなかった。
■バックナンバー
1.歴史と共に、今
2.なぜ、このチームを
3.大洋ホエールズのエース
4.歓喜の瞬間、そして
5.<過去>暗黒の始まり
6.<過去>悔しさの強さ
7.<CS1st>がっぷり四つ
8.<過去>消えゆく優勝戦士達
9.<過去>2003年、5月
10.<過去>底の底
11.<CS1st>巨人にだって負けていない
12.<過去>束の間の光
13.<CS1st>見たことのない未来に向かって